小林敏明教授の「ライプツィヒの街から 17 ヨーロッパの大晦日」

こんばんわ!モンです

 

師走す!なぁ

所用で練馬方面に出かけたら、練馬郵便局手前で大交通事故発生!!!

トラック、タンクローリー、乗用車、などが絡む事故。

目白通りは環七から千川通り交差点まで下り線封鎖

トラックは横転して完全に反対車線をふさいでいました・・・

 

明日からお休みの方も多いはず、自動車運転にはご注意を

安全運転で、いきましょう!

 

さて、ドイツの「小林敏明教授」から年内最後のコラムが届きました!!!

お忙しい中、ありがとうございます!!!

 

それでは、教授!お願いします。

 

 

(17)大晦日東西

 毎年大晦日の夜といえば、日本ではコタツにもぐりこんで、観るともなく「紅白歌合戦」をかけっぱなしにして、みかんの皮でもむいていると、やがてその騒々しい歌番組が終了し、突然白黒になったかと思うような画面に変わって、サクサクと雪を踏みしめる音だけが聞こえてきて、そこへどこからか「ゴーン」というシメヤカな鐘の音が響いてきて、土地のアナウンサーが押し殺したようなNHK声で「こちらは秋田県の何とか寺で、その昔…」というようなことを話し始めるのがお決まりの光景ですね。つまり「静か」です。

 

ところが、こちらの大晦日の夜はちょっと違います。12時が近づいてくると、人々はゼクト(シャンペン)を片手に、塩漬け生ニシンとリンゴとピクルスを生クリームで和えた奇態な食べ物を用意して、12時になるのを今か今かと待ち受け、時刻の到来とともに、いっせいにドンパチと花火を打ち上げるのです。

12時からおよそ30分ぐらい続くこのヨーロッパ全土で打ち上げられる花火の量がどのくらいになるのか知りませんが、とにかくとんでもない量になることは間違いありません。全部一箇所に集めれば、ひとつの国が吹っ飛んでしまうほどであろうことは容易に想像がつきます。

 

ところで、一体何時からこんな騒々しい習慣が始まったかというと、起源については諸説あるようですが、紀元前153年にそれまでの3月1日を1月1日に切り替えるときのお祭りに始まり、それに古代ゲルマン民族の火祭りが結びついたというのが起源のようです。

 

その後1582年のグレゴリウス暦改革で12月24日をシルヴェスター教皇の命日である31日にずらして以来、大晦日のことを「シルヴェスター」と呼ぶようになったと言われます。

 

要するに、1年の終わりとか始まりなどというのはかなりいい加減なもんだということですね。現に中国の「新年」はズレてますもんね。

 問題の花火のいわれの方はどうなっているかというと、ヨーロッパより古く中国の宋の時代に花火が使われ、それがヨーロッパにも伝わるのですが、今の大晦日の花火の起源は、直接にはそちらではなくて、14世紀にイタリアで黒色火薬が発明され、それが一挙にヨーロッパ全土に広がったことが起源とされています。

 

しかし、黒色火薬はすでに中国で6、7世紀ごろに発明されていますから、この起源説は本当のところはちょっと眉唾です。

 

14世紀のイタリアといえば、すでにその前にアジアでは元王朝の隆盛があり、

マルコ・ポーロなどという抜け目のないイタリアの商売人も来てるわけです。

 

このときにこっそり(かどうか知りませんが)中国から持って帰って売り始めたということは充分考えられるわけですよ。

ヨーロッパ人は自分たちがまだ世界の中心だと思いたがっていますから、そんな「定説」が信じられているのでしょうね。

 

まあ、日本のデタラメなオアソビ選挙を見ていると、政治に関しては学ぶところはまだたくさんあるように思いますが。

 

ということで、皆さん、静かでも喧しくでも、とにかく良いお年を。

 

 

 

 

教授、本日もありがとうございました!

いつにもましてユーモアとウイットと最後はシニカルにしめる文章。

思わず笑ってしまいました。

 

ほんとオアソビ選挙のデタラメさ加減だけは笑えませんが、いやいや年末なので

かたい話は止めておきましょう・・・

 

小林教授!一年間お忙しい中、コラムありがとうございました!

来年も、よろしくお願いします。

よいお年をお迎え下さい・・・アイネングーテンルッチ インス ノイエヤー

 

 年末年始の営業時間アップしてます。

こちら から どーぞ