小林教授の「ライプツィヒの街から37 ライプツィヒ紡績工場ネオ・ラオホと日本人芸術家」

こんばんわ!モンです


ひさびさのお休み満喫しましたブログも復活です


ドイツの小林教授からレポが届きました

今回のレポはドイツライプツィヒの芸術事情、なかなか日本では知りえない貴重なレポートです

芸術好きの方は特に必読です!


それでは教授お願いいたします。

ライプツィヒ綿糸紡績工場


今回はちょっと芸術の話題を。

美術通の人はもう知っているかもしれませんが、美術の世界で世界的にも知られた「新ライプツィヒ学派」と呼ばれる画家のグループがあります。今回はこの人たちが根城にしている「綿糸紡績工場」を見学してきました。

オイルライフ 小林敏明 ライプツィヒ ネオ・ラオホ

それにしても画家と綿糸紡績とは奇妙ですね。じつはここは19世紀の終わりごろに創立され、1989年の壁が崩壊するまでの100年間ヨーロッパでも屈指の工場でした。敷地も10ヘクタールという広大なものです。

オイルライフ 小林敏明 ライプツィヒ ネオ・ラオホ

壁が崩壊すると、他の多くの東ドイツの工場と同じように、ここも閉鎖になってしまったのですが、それに目をつけたのが、なかなか自由にアトリエや工房をもてない画家や写真家、それに職人たちです。何といっても廃墟ですから、家賃はないも同様。いつのまにかいろいろな芸術家たちが住み着くようになって、1990年代にはその中から「新ライプツィヒ学派」と呼ばれるような人たちが出てきました。

オイルライフ 小林敏明 ライプツィヒ ネオ・ラオホ

その先駆けとなったのが画家のネオ・ラオホで、彼の名前がニューヨークで知られるようになると、それにつづけと言わんばかりに、若い芸術家たちがこの工場跡に集まってきます。


現在では100人ほどがここに自分のアトリエや工房をもっており、その中には、僕が調べたところ、二人の日本人女性が入っています。


この「綿糸紡績工場」、今では国や市からの助成金も出ていて、ここを訪れる美術ファンも少なくありません。ちょっとした観光地になってます。ライプツィヒといえば、バッハが楽団長を務めていたトーマス教会やゲヴァントハウス交響楽団が有名ですが、美術の方も頑張ってるんですね。



それにしても僕がいつも感心するのは、芸術家たちの先駆性です。

ベルリンのタハレスなどもそうですが、何にもない廃墟に住み着いて、そこを根城に活動を続けているうちに、その場所が有名になり、さらにその周辺にレストランやカフェができ、さらにその地区に芸術家だけでなく、若い学生たちが住むようになり、最後はそこが人気スポットになり、はては観光地にまでなってしまうという都市発展のダイナミズムを、僕の場合はベルリンとライプツィヒの街で見てきたのですが、そのたびに感心するのは、芸術家たちの「勇気」です。

オイルライフ 小林敏明 ライプツィヒ ネオ・ラオホ

何の保証もない、いわば零からの出発に自分の全生活を賭けるというのは、けっして簡単なことではありません。成功する人などほんのごくわずかで、大半は日々の暮らしにも困窮している世界、それでもそこに賭ける人々、僕はこういう人たちが世界を変えていくんだなあと、しみじみ思います。


初めから大企業のスポンサーや親方日の丸に支えられた新製品開発だの、技術革新などというものを追っている「過保護人」たちにはないエネルギーです。

じつに頭が下がります。

オイルライフ 小林敏明 ライプツィヒ ネオ・ラオホ

じつは、ベルリンでもライプツィヒでも、このところこういう場所へ若い日本人たちがやってきて住み着いています。

芸術を志す人たちにとって、日本のような、ある意味では成熟してしまった社会、あるいは管理が行き届いてしまった社会というのは魅力がないのでしょうね。何となくわかります。


人間というのは、金が入って、贅沢ができて、安楽な暮らしができれば、それで幸せというわけではないのですから。


僕がこのところ愚痴をこぼしている日本政治のつまらなさや低劣さも、どこかそういうこととつながっているように思えてなりません。

教授!今回もありがとうございました。


ライプツィヒ綿糸紡績工場、新ライプツィヒ学派、ネオ・ラオホ、知らなかったので検索してみると

ネオ・ラオホ、不思議な絵を描く画家ですねぇ一時期の横尾忠則さんにも通ずる世界感です。


それにもましてライプツィヒの紡績工場にアトリエを構える2人の日本人芸術家女性も気になりますね

教授機会があれば是非追加レポお願いします。


地方では芸術で町の再生はよく聞きますが、都市部あまりないよね?

日本も空き家問題の解決法の一つのアイデアになるのではないでしょうか?


教授、次回のレポも楽しみにしております!

ありがとうございました!