小林敏明教授の「ライプツィヒの街から 番外編 夏目漱石と西田幾多郎 共鳴する明治の精神 岩波新書」

こんばんわ!モンです

 

先日、ミレー「種まく人」のマークでお馴染、岩波書店さまからクロネコメール便が・・・

中を恐る恐る(ナゼ?笑)開けてみると・・・

なんと!小林教授の新刊ではないですか

 

岩波新書 小林敏明著「夏目漱石と西田幾多郎 共鳴する明治の精神」

 

 小林教授は日本を代表する哲学者であり京都大学名誉教授、京都学派の創始者

西田幾多郎氏とそのその周辺につての著書多数なのですが、教授が教鞭を執る

ドイツライプツィヒ大学日本語学科では、ドイツ人の学生を相手に作品を変えて

夏目漱石を取り上げていたそうです。

 

ってスミマセン偉そうにかいておりますが私、哲学方面も夏目方面もビギナーなもので

ネットと今回の教授の著書のあとがきの受け売りす・・・。

 

夏目漱石生誕150年の年に漱石の「こころ」の刊行から出版事業を展開する様になった

岩波書店より漱石関連の書籍を出版する様になったのも小林教授と夏目漱石の縁ではないでしょうか?

 

序章だけ(だけかよ!)チラリと読んだのですが、日本を代表する小説家と哲学者の意外な接点を読み解くミステリー的要素があるなぁ~と私は感じたのですが、違いますか?教授??

新書なので、こんな私でもかなり読み易いです!

 

ぜひ皆さんも書店でお手に取ってお買い求めください。

 

写真は、小林教授の前著にして500ページの大著「憂鬱なる漱石」

そして夏目漱石と言えばな猫グッツいろいろ

 

モチロン明日も営業中!!!

夏目漱石と西田幾多郎

 

な~んか馬鹿なコメントで教授の本の売り上げが落ちたたらど~しよ・・・

 

 

コメントをお書きください

コメント: 5
  • #1

    草枕(レンマ学) (金曜日, 16 12月 2022 21:14)

    ≪…「時は多と一との矛盾的自己同一」であるとか、「非連続の連続」など…≫で、数の言葉ヒフミヨ(1234)を『京のヒフミヨ巡り』で味わいたい・・・
     「夏目漱石の句碑」「〇△□乃庭」「西田幾多郎の歌碑」の水流のコンター軌跡に想う・・・

  • #2

    オイルライフです (土曜日, 17 12月 2022 18:34)

    草枕(レンマ学)さま

    コメント有難うございます
    これからもよろしくお願いします。

  • #3

    √6意味知ってると舌安泰 (水曜日, 18 1月 2023 10:54)

    ここに訪問出来て感謝しています。
    本書の第三章 一生の宿題となった公案の闘い 真の無の場所 に
    【…あらゆる作用と対象が分化される前の直接的で根源的な事態であり、その意味で「無」である。だから、それは「何もない」という意味での無ではない。なぜなら、まさにそこからこそすべてが生じてくるからだ。…】 と
    夏目漱石の「草枕 三」の
    【…四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。…】 の [芸術家]を数の言葉の[ヒフミヨ]にして、
    数の言葉ヒフミヨ(1234)を、数学からの送りモノとしてチョット数学共同体からパラダイムシフトして、静なる『自然比矩形』と動なる『ヒフミヨ矩形』『ヒフミヨ渦巻』で、先達の背景に触れたい・・・
     すると、数の言葉ヒフミヨ(1234)には、
    十進法の基における西洋数学の成果の符号(e i π ∞)
    菩薩的作用素(?)( 1 0 )
    言葉の点線面
    言葉のカタチ(図形)(〇△□ながしかく(『自然比矩形』)
    演算符号(+ - × ÷ √ =)
    数式 方程式 
    離散・連続(濃度)
    『球の数』 『創発直方体』(『数の核ジャーゴン』)
    などなど を
    ウマクウマク纏め上げて、無矛盾性(トートロジー)に観えてくる・・・

  • #4

    岡潔数学体験館見守りタイ (金曜日, 26 4月 2024 04:58)

    「草枕」 「善の研究」的な眺望での数学の基になる自然数は、大和言葉の【 ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と 】からの送りモノとして眺めると「すうがくでせかいをみるの」的な送り返しで、「数のヴィジョン」になるとか・・・

     自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ~

  • #5

    石碑巡り(『西田幾多郎―無私の思想と日本人―』) (日曜日, 07 6月 2026 16:18)

    【 「人は人、吾はわれ也、とにかくに吾行く道を吾は行くなり」 】哲学の道(京都市)と
    【 「無事於心無心於事」 】(「物となつて考へ物となつて行ふ」) 安曇野市高家公園の石碑 から、「善の研究」の文脈で、

    [ 『思惟、想像、意志、の作用よりの統一せる活動』から論理を数式とした時、全称
    量化と存在量化の二つの思惟が生まれるのである。このことから、
    『如何に考え、如何に想像し、如何に為すべきかを論ずるのが、第一の問題である。
    ここにおいて論理、審美、倫理、の研究が起って来る。』を思惟し、
    そこで、論理としては、現象の解析の結果、評価事象から面積事象への変換には演
    算子が見出されたのである。そして、面積事象の変数の係数は、作用素で示され、
    減歩の割り当て(積分)量と生るのである。
    そこから、評価事象の離散量を表す量化式の量化係数と面積事象の離散量を表す減
    歩率式の作用素の係数とには、双対とならしめ、先に触れた両係数の和か積が一に
    生ることが分かるのである。そして、離散数学の微分積分法として捉えれば、離散
    的量化関数(式)の導関数として、離散的減歩率関数(式)が導かれたことになっ
    ているのである。
    これでもって、
    『我は数理を知ると共にこれを愛しつつあるのである。』
    の心持になれたのである。 ]
     の記事から、数の言葉ヒフミヨからの自然(じねん)数の眺めの[1]は、
     【 数とは一から習い十を知り十より戻るその一 】とのコト。

    ――― 令和ヒフミヨ哲学 ―――