小林敏明教授の「ライプツィヒの街から 71 ゴッドファーザーの孫自慢

こんばわ!モンです

 

ドイツの小林教授からレポートが届きました

今回のテーマは ゴッドファーザー

それでは、ドン・コルレオーネならぬドン・トシアキオーネ

本日もよろしくお願いいたします

 

 

 

71ゴッドファーザーの孫自慢

 皆さんは「ゴッドファーザー」という言葉を聞くと、何を考えますかねえ。まずたいていの人は、あのマーロン・ブランドとアル・パチーノが主演したフランシス・コッポラの映画を思い浮かべることでしょう。そして自動的に「ゴッドファーザー」とはマフィアのボスという意味だと考えるのではないですか。はたしてそうか、ちょっとウンチクを垂れてみましょう。

 

この言葉はもともとラテン語のPater spiritualis(聖なる父)から来たもので、子供が教会で洗礼を受けるときなどの立会人のことです。もし万が一この子の親に何かが起こった場合は自分が代わってこの子の面倒をみますというような存在ですから、簡単に言うと、民法でいう「後見」の宗教版みたいなものです。

 

この後見、おそらく昔は男だけが務めたのでしょうが、やがて時代の変化とともに女の人もこれを務めるようになります。ところがもともとの言葉は「Pate(父)」ですから、これではまずいだろうということで、ドイツ語圏では「Patenonkel」と「Patentante」、英語圏では「Godfather」と「Godmother」と性別分けをしたわけでしょうね。このときドイツ語ではPateにOnkel(叔父)、Tante(叔母)という言葉がついて、実の両親との区別がなされました。英語の方はfather、motherですが、これにspiritualの意味を踏襲してGodが付きました。日本語ではこれらは「代父」「代母」と訳されます。「父母」を使うところは英語式、「代」の字を当てたのは、実の両親の代役を務めるという意味を表しています。

 ついでに述べておけば、ローマ教皇はドイツ語でPapst、英語でPopeと呼ばれますが、これらの語源はラテン語のPapa、さらに遡ればギリシア語のπάππα です。現在世界中に流布している「パパ」という呼称の起原でもありますが、総じてPの音は男性に、Mの音は女性に親和性があるようです(mother, Mutter, mère, mater, μήτηρ, 母亲mǔqīn)。

 

というわけで「ゴッドファーザー」はもともとは「マフィアのボス」という意味でなく、キリスト教の慣例に基づいた「代父」のことを言います。事実映画でもその場面があります。コッポラはそれを比喩を込めて象徴的に使ったのですね。

 

長々とウンチクを垂れましたが、ここから私の個人的な「ゴッドファーザー」の話です。私には娘が二人いますが、残念ながら孫はいません。この年頃になると、友人たちが皆オジーちゃん、オバーちゃんになって、スマホで送られてきた写真を見せびらかしながら、鼻の下を長くしているので、ときどき羨ましくなります。でも、ないものはないのだから仕方ありません。自分で頑張ったとしても、それはあくまで齢の離れた「子供」であって「孫」ではありません。欲しいのは「子供」ではなく「孫」なのです。なぜかというと、「子供」だと責任が生じますが、「孫」だとほとんど責任を感じることなく純粋かつ気ままに接することができますから、それだけ可愛さが増します。

 

そこで私が考えたのが、Patenonkelすなわちゴッドファーザーの制度です。とはいえ、私自身はクリスチャンではないので、宗教的意味はありません。制度を換骨奪胎して利用しているだけです。具体的にはこういうことです。

 

まず普段から親しく付き合っている家族がいます。僕の場合その大半は卒業後もずっと付き合いが続いているかつての教え子たちです。その連中が結婚して子供ができると、私は出しゃばって「僕がPatenonkelになるから」と一方的に宣言します。息子や娘のように気に入っている連中の子供だから、私には孫のようなものですね。さしずめ「代孫」です。

 

こうして次々に指名した「代孫」が、いまや9人ほどになります。先日も図書館員で、私にとっては「代娘」に当たるマサコさんの娘カナのバレエの発表会があって、私は本物のオジーちゃんと一緒に招待されて観てきました。カナには日本に本物のオジーちゃん、オバーちゃんがいるのですが、簡単に来れないですから、私が彼らの代理をするという意味で「代祖父」の役目も果たしているわけです。

 

南に行けば、プファルツのワイン産地に住むマックスの家族がいて、ここの3人娘が「代孫」で、私はこまめにこの子たちに宮崎駿のヴィデオを送り続けてます。彼らを訪ねれば、ワイン片手に一緒にトトロやチヒロです。それにしてもトトロはいいですね。私は自分の子供のときの風景を思い出します。

 

京都にもオトとベンの2人の「代孫」がいます。とくにベンは私のお気に入りで、とにかく面白い子です。まだ2才になる前で言葉を話し始めた頃でした。電車通りに出て抱っこをしながら30分ほど市電を眺めていたのですが、彼は市電が来ても、それには反応しないで、電車がやってこない間中、「来ないね」「まだ来ないね」を言い続けたのです。私はこれに感動しました。

 だって、電車が来たときに「あ、電車」とか「電車来た」とか言って反応するのが普通の子供の反応でしょ。ところがベンは電車の到発着には興味を示さないで、「まだ来ない」ことの方に関心を示し続けたのです。不在への関心、生まれながらの哲学者ですねえ。ことほどさように、ベンはどこか他の子とちがっていて、言うことなすことが面白いのです。いや、ジジ馬鹿であることも自覚していますよ。

 

Patenonkelを名乗ってよいのかどうか迷っているのが、オリバーの一人娘モトコちゃんです。というのもオリバーは大学卒業後日本に渡り、禅宗の坊さんになってしまっているからです。彼は現在では能登半島くんだりでは名士になっていて、地元の新聞にしょっちゅう出ています。私としては禅の坊さんにキリスト教の制度を押し付けるわけにもいかず、密かに「心のゴッドファーザー」を決め込んでいるというわけなのです。

 

私と同じように実の孫を持たない方、一度「代父母」を試してみたらどうでしょう。この制度の良いところは、いやになったらすぐやめることができるということです。実の子や孫ではそうはいきません。無責任ゆえの可愛さというものも悪くありませんよ。それだけ純粋になれますから。

 

私がしつこく原発に反対しているのも、この子たちの未来を思ってのことなんです。

ドン・トシアキオーネ

本日も有難うございました

 

教授から送って頂きました、お孫さん達の写真を見ましたが

皆美女美男揃いですねぇ

ベンくん流石教授のお孫さんだけあって哲学者、将来が楽しみです

 

ここで読者の皆様に言いますと

最後に出てくるオリバーとは私ちょっとした知り合いで

オリバーの元気そうな顔がチラッと見れたのは嬉しかったですね。

 

教授!本日も有難うございました

代孫これからも楽しんでください(笑)

 

 

 

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コメント: 5
  • #1

    風間広子 (土曜日, 30 7月 2022 19:29)

    小林教授
    今回も楽しいお話をどうもありがとうございました。GOD fatherはマフィアのことがと思っていました。
    今は結婚が遅く、おばあちゃんやおじいちゃんがいない子どももいます。代孫、いいですね!
    私の10才になる娘は、おじいちゃんがいません。パパもいません。
    日本でも代孫が流行るといいなと思いました。

    モンさま
    ピアノの練習の合間に、ブログを拝見しています。まるで受験勉強が嫌な人みたいです(^O^)

  • #2

    モンです (金曜日, 12 8月 2022 20:09)

    風間さま

    代孫ブームきますかね?
    教授が流行らせてくれると思います

    ピアノ頑張ってください

  • #3

    小林敏明 (土曜日, 13 8月 2022 01:30)

    風間さん、いつもレスポンスありがとうございます。
    ところで、コロナのなか夏休みを利用してドイツのおじいちゃん、おばあちゃんのところに来ていたオトとベンが、今日こちらにも来てくれて、3年ぶりの再会をしました。
    歓談中、たまたま死が話題になって、オトが「僕は死にたくない」と言うと、弟のベンはすかさず「僕は死にたい」と言います。大人たちが「どうして?」ときくと、「死んだ後がどんなか知りたいから」と即答です。死後に「知る」ということが可能かどうかまでは考えなかったようですが、この子なら、騙されていかがわしい壺を買ったりなどはしないでしょう。

  • #4

    追伸 (月曜日, 15 8月 2022 01:45)

    ちなみに、ベンは7才です。

  • #5

    風間広子 (土曜日, 20 8月 2022 17:13)

    小林教授
    こちらこそ、返信どうもありがとうございます。
    「死」に対するベンくんの答えが素晴らしいですね!7歳とは、、、
    私も小学生のときに、祖父が亡くなり死を身近に感じました。ただただ怖いという感覚しかありませんでした。

    モンさま
    代孫ブーム。来るといいですよね!
    はい。ピアノ頑張ります。