小林敏明教授の「ライプツィヒの街から 18 日本の家 Das japanische Hausプロジェクト」

こんばんわ!モンです。

 

先日NHK Eテレに出演しました「ライプツィヒ大学日本語学科 小林敏明教授」

みなさん見て頂きましたでしょうか?

 

私は再放送含め2回も見ちゃいました、哲学者「西田幾多郎」。

番組を見るまでは名前すら知りませんでしたが、わたしの様な門外漢が見ても、なかなか興味深い内容でした。

 

小林教授のパートもなかなかの時間を割いてありました。

お元気そうな姿を拝見して安心しました教授!)

 

そんな小林教授から新春初のドイツレポートが届きました!

ライプツィヒで活躍する若き日本人建築家2人に関するコラム。

 

それでは、教授お願いします!

ちょっと遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。というわけで、今回は年明けらしいニュースを。

 

昨日27日ライプツィヒの「日本の家Das japanische Haus」で新年会が開かれたので、ちょっと顔を出してきました。

 

主宰者は写真のオータニクンとノリコサン、いずれも建築家です。

 

ちなみに二人はアヤシイ関係ではありません。ノリコサンには別の男性があり、子供もありますから。このキヨイ関係にある二人の建築家のコンセプトは、市街区と建築の共生というようなテーマですが、手っ取り早い話、空き家になった家屋や部屋を利用して何かやってしまおうということです。

この「何か」には日本に関することなら今のところ何でもOKということで、これまでにも絵や写真の展覧会、日本料理教室、講演、試写会、ただ日本人を集めての飲み会と、さまざまです。

 

僕も去年この集まりで、地元ライプツィヒの囲碁同好会に呼びかけ、「小林杯争奪囲碁大会」なるもののお膳立てをしたりしました。

 

この「日本の家」はおよそエスタブリッシュメントとは縁がありません。大使館や外務省とはいささかズレたところでの「日本」が問題になります。ですから、反原発ポスター展などというのも堂々と行われます。

 

建物と通りの写真を見てもらえばわかるように、崩れかかった壁、ちょっといかがわしい通行人のお兄ちゃんなど、なかなかの雰囲気です。事実この通りにはトルコ、アラブ系を初めアジア系の人々が住み着き始め、ライプツィヒでも「イカガワシイ」通りとして知られています。

大事なのはこのイカガワシサです。じつはこういう家賃の極端に安い場所に学生や芸術家たちが集まってくることによって、その場所が活気付き、やがてそこが「イン(流行り)」と呼ばれる場所に変身していく可能性があるのです。

 

それは壁崩壊後のベルリンの街が見事に証明しています。今や観光スポットとなっている、ハッキシャーホーフやプレンツラウアベルクなどというのは20年前は廃墟同然の場所でした。

 

オータニクンとノリコサンが狙っているのはそれです。廃墟からの復活、まるでフェニックス神話ですが、そのダイナミズムの中における建築物ないし住まいの意味というようなものを追求しているのです(と、僕は解釈してるんですが)。

 

実際にこの「日本の家」にはわがライプツィヒ大学日本学科の学生たちも手弁当で参画し、お手伝いしていますし、日本からの留学生たちもそこに出入りして、結構仲良くやってます。

 

まあ「コクサイコーリュー」というものは大使館のホールでよぼついたジーサンたちが日本レストランの高い寿司をつまみながら義理と愛想笑いの会話を交わすものではなくて、むしろこういうものだと思いますね。

 

興味が湧いた人は下のサイトをのぞいてやって下さい。

japanischeshaus.web.fc2.com/

 

 

教授!本日もありがとうございました!!!

 

ドイツの人が見たら古くさくてイカガワシイ建物なんでしょうが、日本の何の変哲も無い建物を見ている私からすれば、雰囲気のある建築物ですねぇ。

しかも家賃も格安ならば是非「オイルライフ」が移転したいくらいです(ウソ笑)

 

日本の若き建築家「オータニさん と ノリコさん」にはライプツィヒ

「日本の家Das japanische Haus」からJapanische Kultur をドンドン発信して頂きたいものです。頑張って下さい!!!

 

教授また次回のレポート楽しみにしております!!!


 

最後に私が以前ドイツに旅行したおりに買ってきた

ドイツの集合住宅「プラッテンバウ」の紙の組み立てモデル

 

それでわ!